明暦2年(1656)ごろ、伊万里二里にあった神原八幡宮から分霊されてできたもので、もとは「有田皿山宗廟八幡宮」と呼ばれていて、明治4年(1871)に現在の名称になりました。
朝鮮出兵の際、佐賀藩の鍋島直茂は第一線で戦い、その鍋島軍の案内をしたのが李参平だといわれています。直茂が帰国する際、連れてこられた李参平は、泉山で陶石を発見したのち、焼物の里有田を築いたとして陶祖としてあがめられ、鍋島直茂と合わせて祭られています。磁器製の狛犬は今右衛門窯、鳥居は稗古場の岩尾久吉、水がめは井手金作・小山直次郎・川浪喜作の合作によるもの。