本来「本陣」というのは江戸時代の参勤交代の時、大名が宿泊した場所をいう。有田では佐賀から殿様が皿山の見学に来たり長崎奉行が江戸へ往来した折り、有田に立ち寄り、中の原の旧久富一族の屋敷が立ち並ぶこの一帯に分宿したことが記録にあり、自然と本陣という名が定着したものと思われます。 殿様が大勢の家来を引き連れて皿山を見学に来る際に出迎えたのは、皿山代官所の役人と皿山の町人達で、町内をすみずみまできれいにし、道には白砂がまかれました。この白砂は陶土を”水ひ”した時に残った小さな砂状のものです。昔の皿山では特別な日によくみられた光景でした。